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広島地方裁判所呉支部 平成3年(ワ)105号 判決

原告

川畑政人

川畑せい子

右両名訴訟代理人弁護士

笹木和義

高盛政博

我妻正規

被告

安浦町

右代表者町長

沖田範彦

右訴訟代理人弁護士

開原真弓

神田昭二

高岡優

真田文人

被告

広島県

右代表者知事

竹下虎之助

右訴訟代理人弁護士

山本敬是

右指定代理人

壇上陸二

外三名

主文

一  被告らは、各自、原告それぞれに対し金一一五二万〇五二五円及びこれに対する平成二年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告らは、各自、原告それぞれに対し金二五〇〇万円及びこれに対する平成二年三月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、小学校六年生の児童が担任の教諭から猥褻行為を受けたうえ殺害されたとして、その両親が、当該小学校の設置管理者及び費用負担者である地方公共団体それぞれに対し損害賠償を求める事案である。

一争いのない事実等

1  当事者の地位等

被告安浦町(以下「被告町」という。)は、地方自治法二条三項五号、学校教育法二条、二九条により安登小学校(以下「安登小」という。)を設置管理して教育事務を行い、また、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地教法」という。)に基づき教育委員会(以下「町教委」という。)を設置し教育委員会の事務を管理執行している地方公共団体である。

被告広島県(以下「被告県」という。)は、市町村立学校職員給与負担法一条により安登小の教諭等の給与その他の費用を負担し、また、地教法に基づき教育委員会(以下「県教委」という。)を設置し教育委員会の事務を管理執行している地方公共団体である。

訴外B(以下「B」という。)は、昭和六二年四月安登小に赴任し、同校に在学していた原告らの長女A(昭和五二年四月四日生まれ、以下「A」という。)を四年生時から六年生時まで引き続いて担任していたものであり、右同月当時、安登小の校長は訴外渡辺恒久(以下「渡辺校長」という。)、町教委教育長は訴外山根昭三(以下「山根教育長」という。)であった。

2  殺害事件の発生

安登小では平成二年三月二三日に卒業式を終えたが、Bは、同月二六日午前九時過ぎ頃A宅を訪れ、自己が運転する普通乗用自動車(ボンゴ車)で同児を連れ出し、同日午前一〇時頃、安浦町大字久多田の海岸空地に駐車中の右車内で同児を絞殺した(以下「本件殺害行為」という。)。

Bは、右殺人の罪で起訴され、平成三年四月一〇日、広島地方裁判所において懲役一三年の判決の宣告を受け、同判決は控訴の申立てがなく自然確定した。(〈書証番号略〉、証人B)

3  Bの被害弁償

Bは、右刑事事件の審理中、右行為による損害の賠償として原告らに対し三〇〇〇万円を支払った。

二原告らの主張

1  被告らに対する国家賠償法に基づく請求

(1) Bの不法行為

① Bは、平成元年九月頃からAが卒業する頃までの間、朝の授業開始前や授業の合間に学級委員の同児が連絡等のため安登小教室内後方隅の同人のもとに赴いた際、同所において同児の胸や陰部を触ったり、唇に口づけをするなどの猥褻行為を繰り返していたが、右行為は、その契機等からみて客観的に同人の職務行為の外形を有するものである。

② 本件殺害行為は客観的に同人の職務行為の外形を有するものである。

すなわち、現在の学校教育では、教科教育のみならず日常生活における行動規律をもその目標として、生徒指導、生活指導を行っており、児童生徒の家庭訪問をすることもその一環であって、その行為は本来の職務行為であるか、若しくはその手段あるいはそれに密接に関連し付随する行為である。ところで、本件の場合、Bは、Aに対し右猥褻行為を謝罪するつもりで同児方を訪ねたというのである(但し、同人の意図はAに対する口封じであった疑いもある。)が、同児に対し「学校のことで話がある。」と申し向けて誘い出している。同日はもともとBがAを含め担任のクラスの女子を任意の校外活動として社会見学に引率する予定だったものが、同人の右猥褻行為の発覚で取り止めざるを得なくなって、その中止方をBにおいて連絡させていたところ、これを単なる期日の変更であると思い込んでいたAとしては、その相談であると思って、担任教諭の指示どおり同人と行動を共にすることは自然であり、Bの右一連の行為は主観的意図はともかくとしても客観的には同人の職務行為の外形を有するとみるべきものである。

(2) 安登小学校長及び町教委教育長の不法行為

安登小の渡辺校長と町教委の山根教育長は、以下のとおり、職務を行うにつき過失があったことにより本件殺害行為を防止できなかった。

① 渡辺校長は、平成二年三月一九日、Aと同じクラスの男子児童の保護者から、BがAに対していかがわしいことをしており、その状況を録音したというテープを右児童らが所持しているとの訴えを聞き、翌二〇日には右保護者方でそのテープを再生して女性のうめき声様のものが録音されていることを知り、さらに翌二一日には右児童らから直接右訴えの内容を聞き取っていた。その後、同校長は町教委から事実調査の指示を受け、Bから事情を聴取し、顛末書を徴するなどした結果、同人のAに対する猥褻行為の概要を確認した。同校長は、これらの間において、Bが未だ事実関係を完全に告白してはおらず、精神的に相当動揺していることを認識したのであるから、同人が謝罪あるいは口封じの目的でAに単独で接触し、その際、何らかのはずみでAに危害を及ぼす危険があることを十分予見できたものである。

したがって、教諭を指導し監督する義務と権限を有し、また、教育活動の場及びそれに付随する場における児童の安全を確保し保護すべき学校長として、渡辺校長は、Bに対し右接触を厳禁する措置をとり、あるいはAの保護者らに事実を告げて保護の手段を講じさせるべきであった。しかるに、同校長は山根教育長との間で内密に事を処理しようとし、また、報道関係への対応に気を取られ、右措置にでることなく時を過ごしたため本件殺害行為を防止できなかったのであり、右過失とAの死の間には相当因果関係があるというべきである。

② 教育長は、教育委員会の権限に属するすべての事務を司り、学校の管理に関すること及び児童の安全に関すること等を行う職務権限を有する(地教法一七条一項、二三条一号・九号)者として、校長等を指揮監督することにより児童の生命身体等の安全を保護すべき義務を負うものである。とりわけ、本件の如き教諭の不祥事の事後の対応については、当該児童の生命身体等に対する侵害が予見される範囲内において、校長等に対し児童の安全を保護するための措置を取るよう指示すべき義務を負うことは明らかである。

山根教育長は、平成二年三月二二日、広島県教育委員会から事実調査方の指示を受け、これを右①のとおり渡辺校長に伝達し、同月二三、二四日とBから事情を聴取して顛末書を徴したが、その内容になお曖昧な点があったので書き直しを命じ、翌二五日に提出された新たな顛末書によりBの猥褻行為の具体的内容を知り、ようやく、同日、Bに対し、渡辺校長と一緒にAの保護者方に謝罪に赴くよう指示したのである。この経過に照らすと、同教育長は、遅くとも右同月二三日の事情聴取が終わった時点で、右①の渡辺校長と同様な事実認識を得たうえ、とりわけ、Bが未だ全面的な告白に至っておらず、A本人から事情が聴取されることにより真相が全面的に露顕するのを恐れていることを認識していたのであるから、Bが不当な目的でAに接触し、その際、Aに何らかの危害を及ぼす危険があることを十分予見できたものである。したがって、同教育長としては、①直接Bに対しAと接触することを制し、若しくは、渡辺校長に制止方を指示して不測の事態の発生を未然に防止すべき義務があったこと、②渡辺校長をして、Aの保護者にBの猥褻行為を知らせるよう指示して不測の事態を未然に防止すべき義務があったことは明らかである。しかるに、同教育長は右①については何らの措置をとっておらず、右②については、真相が全面的に判明するまではAの保護者に知らせないこととし、ようやく三月二五日に前記のような謝罪の指示をした外は何らの措置もとっていない。同教育長にも前記安全配慮義務を怠った過失があり、右過失とAの死との間には相当因果関係があるというべきである。

(3) 被告らの責任

公立学校における教育活動は国家賠償法一条一項にいう公権力の行使にあたるところ、B、渡辺校長及び山根教育長は、いずれも公権力の行使にあたる被告町の公務員であり、同人らの前記各行為は職務を行うにつきなされた不法行為であるから、被告町は国家賠償法一条一項により、被告県は同法三条により、それぞれ原告らに対する損害賠償義務を負う。

2  被告町に対する予備的請求(安全配慮義務違反の債務不履行責任)

Aと被告町との間においては、原告らがAの共同親権者として同被告に対しAの安登小学校への入学を申し込み、同被告がこれを承諾することによって、教育諸法上の在学契約関係が成立していた。被告町は、右契約に基づきAに対し諸教科の教授、生活指導等を行うべき義務を負担するだけでなく、右契約に当然に付随する義務として、Aの教育活動中及びそれに付随する範囲内において、同児の生命身体の安全に配慮を尽くすべき義務を負っていた。そして、渡辺校長及び山根教育長は、それぞれ前記のような地位、職責を有し、いずれも被告町の右義務の履行補助者として児童の生命身体の安全に配慮を尽くすべき義務があった。

しかるに、右両名は、それぞれ前記のとおり、BのAに対する猥褻行為が発覚した後、Bに対し顛末書を提出させ自宅待機を命じた程度で他に適切な措置を講じず、その結果、本件殺害行為を招くに至った。これは右両名が被告町の履行補助者として右安全配慮義務の履行を怠った結果である。同被告は右債務不履行責任により原告らに対する損害賠償義務を負う。

3  損害について

(1)① Aの逸失利益

三二三四万〇〇二六円

同児は少なくとも短期大学へ進学する蓋然性が高かったものであり、卒業後の二〇歳から六七歳までの逸失利益は平成元年賃金センサス(短大卒20歳〜24歳女子労働者)により、生活費控除を三割として、新ホフマン式係数により中間利息を控除して次のとおり算出される。

2,371,300×(1−0.3)×19.483

② AがBの猥褻行為により受けた身体的、精神的苦痛に対する慰謝料

二〇〇万円

(2) 相続

原告らは、Aの右(1)の損害賠償請求権を各二分の一宛相続した。

(3)① 葬祭費 一〇〇万円

原告らが各五〇万円宛負担した。

② 原告らの慰謝料

四〇〇〇万円(各二〇〇〇万円)

③ 弁護士費用 五〇〇万円

4  請求

被告ら各自に対し以上合計八〇三四万〇〇二六円のうち五〇〇〇万円(原告ら各二五〇〇万円)及びこれに対する平成二年三月二七日(Aの死亡の翌日)から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

三争点

1  BがAに対し猥褻行為に及んだ事実の有無。その事実があったとした場合、それはBが自己の職務を行うにつきなしたものといえるか否か。

これにつき、被告らは、右行為があったとしてもそれはBが自己の欲望を果たさんがためにのみ行ったもので教育活動とは全く無関係であり、職務の執行に際してなされた私的な行為にすぎず、国家賠償法上の職務執行性はない旨主張する。

2  本件殺害行為は、Bがその職務を行うにつきなしたものといえるか否か。

これにつき、被告らは、(1)BのA宅訪問の目的は同児に対する謝罪という純粋に個人的な用件のためであり、当時、同児は安登小に在籍していたとはいえ既に卒業式も終えており、担任教師が教育活動として同児と接触する必要はなかったのであって、学校の正規の手続も経ておらず、訪問の際、教育活動に関連する言動もなく、しかも自宅外に連れ出した行為は、その外形からしても教師としての職務執行性を有するとはいえない、(2)また、右家庭訪問が外形上何らかの右職務執行性を有するとしても、その後のAを連れ出した行為と本件殺害行為とは、教師の教育活動として通常ありうる形態とは到底いえず、右家庭訪問と密接不可分ないし一連の行為であるとは解されないから、それについて職務執行性は認められない旨主張する。

3  渡辺校長及び山根教育長においてBのAに対する加害行為を予見することができたか否か。また、これを防止するにつき、渡辺校長及び山根教育長に過失ないし安全配慮義務の不履行があったといえるか否か。

これにつき、被告らは、(1)渡辺校長及び山根教育長の事情聴取の過程でBは理性を取り戻し、十分に反省して右校長らの指示に素直に従う姿勢を示していたのであり、同人が勝手にA宅を訪問し、本件の如き異常な事態を引き起こすとは誰にも予見できなかった、(2)渡辺校長らAからの事情聴取を後日に譲ったのは、ことの性質上、同児を傷つけることなく、まずBから事情聴取し、その内容に応じて保護者らと共に同児に接触しようとしたためである。それは教育上適切な措置であり、また、渡辺校長及び山根教育長は、Bに対し自宅待機を命じ、同児や原告らに対する謝罪は一人で勝手にするのではなく、校長と共にするよう指示していたのであるから、同人らに右過失ないし安全配慮義務の不履行はない旨主張する。

4  A及び原告らの受けた損害

第三争点に対する判断

一Bの猥褻行為及びその職務執行性について

1  前記争いのない事実に、〈書証番号略〉、証人B、同渡辺恒久(第一、二回)、同山根昭三(第一、二回)、同孝田加代子、同小松孝有の各証言及び検証の結果を総合すると次のとおり認められる。

(1) Bは、昭和六二年四月安登小に赴任し、当時四年生であったAの学級担任となり、以後いわゆる持ち上がりで六年生時までその地位にあったが、Aが努力型の明るい性格で、学級委員としての勤めもよくこなしていたことなどから、次第に同児を好ましく思い、他の児童と異なって特に目をかけるようになっていた。

(2) Bは、平成元年九月頃、教室内の後ろの隅にある自己の席をエレクトーンやボンゴなどの楽器類等で見えにくく囲ったりしていたところ、Aが朝の授業開始前に学級委員として学級全員の健康観察の報告に右席に来た際、他の児童らから見えにくくなっているのを奇貨として、同児の唇に口づけをしたことがあったが、同児が拒むこともできないでいるのを、自己を慕っているものと勝手に解釈し、以後、平成二年三月頃まで、同様な機会に同じような行為を繰り返していた。そのうち右場面は他の児童の目撃するところとなり、BがAに対していかがわしい振舞に及んでいるとの噂は学級内に広まっていった。しかし、右児童らはBから教室内での出来事を家庭で話したりすることを厳禁されており、これを破ったときのBの厳しい仕打ちを恐れて保護者らにはそのことを告げないままでいた。

(3) このことがかえってBのAに対する性的いたずらを助長させ、Bは、同児が学級委員として、体育の授業の準備ができたことを教室にいる自己のもとに告げに来たとき、同児が右同様拒むことができないでいるのに乗じ、自分勝手の思い込みのもとに、同児を膝の上に乗せてブルマー越しにその臀部を撫でたり、胸に手を差し入れて触ったり、さらには体操服をめくり上げて乳首を吸ったり、パンティの下に手を差し込んで陰部を触ったりするほどになり、以後、右(2)と同様の期間その行為を繰り返していた。

(4) Aは、生前、これらの被害を原告らに訴えたことはなかったが、同じ学級の女子児童から「Bに胸を触られた。」と打ち明けられたときに、自分も同様な被害にあっている旨漏らし、困惑している様子を示したことがあった。

右(2)、(3)の猥褻行為の回数につき、Bは県教委宛の顛末書(〈書証番号略〉)には平成元年九月から三学期までの間に、口づけが五・六回、ブルマーの下に手を入れたり胸を触ったのが二・三回と記載し、検察官に対する供述調書(〈書証番号略〉)では、これらが併せて一〇回位と述べている。

(5) ところで、平成二年三月九日頃、Bが担任する学級の男子生徒孝田貴紀らが安登小の音楽室に置いてあったBの私物のカセットデッキを見つけ、中のテープを再生してみたところ、「ため息をしているような」音声が入っていたことから、同人らは、それまでの見聞等も併せ、これがBのAに対するいかがわしい行為の状況を録音したものであるとして、Bの児童らに対する平素の厳しい体罰への仕返しの材料とするために五本を再録して五名がそれぞれ持ち帰っていた。同月一九日、右テープの存在は右生徒らの保護者らの知るところとなり、これを試聴した右保護者孝田加代子らは、Bの鼻を啜るような特徴的な音声が含まれていると感じ、子供らが説明するような内容のものに相違ないと思い、同日その経過を渡辺校長に連絡した。渡辺校長は翌二〇日に右孝田方を訪ねて右テープを試聴し、同月二一日に再度同人方を訪ね、同席したB担任の学級及び六年生の他学級を含む一一人の男子児童からBの行状等について事情を聴き右生徒らの訴えの内容の重大さを考え、事が外部に広がることを恐れ、児童らの所持していた五本のテープを預って帰宅した。そして、自宅で内一本を残し(以下、これを「本件テープ」という。)他の四本のテープの録音内容を消去した。また、同校長は、前記孝田貴紀から、オリジナルテープを同校の音楽室にあったカセットデッキに戻したと聞いていたので、右帰宅前に安登小に寄り、右音楽室のカセットデッキ内のテープを取り出し、校長室の机に保管していた(そのテープは生徒らが見つけた前記オリジナルテープとは別物であることが後日判明した。)。

本件テープは、同月二二日、渡辺校長から町教委に、同月二四日尾道教育事務所を経て県教委に順次提出され、その後、本件殺害事件の証拠品として捜査機関に押収され、用済後安登小に還付され保管されていた。

本件テープには、同一内容の音声が繰り返して三回、合計三分二一秒間収録されている。右不自然な繰り返しがいかなる経過で生じたかは明らかでない。前記再録の折りに生じたものとも考えられなくもないが、その後何者かによって手を加えられた可能性も否定できない。そして、その内容は、背景音に学校内と思われる児童らのはしゃぎ声や楽器音らしきものがあり、断続的に女子の息を詰めらせたあえぐようなうめき声及びため息ととれる音声が聞き取れるが、その音声の主を特定できるほどの特徴的なものはない(前記保護者らが聞き取ったという、B独特の鼻を啜るような音声を聞き取ることはできないが、その原因は不明であり、前記のように何者かによるその後の操作による可能性もある。)。

2  以上のとおり認められる。

Bは、その証言の中で、いたずらの回数は一〇回はないと述べ(〈書証番号略〉の司法警察員に対する供述調書では五回位としている。)、また、私物のカセットデッキが自己の学級外に出ることはないとして、本件テープ内容は全く自己に関係がない旨供述している。しかし、前掲証拠からすると、Bは渡辺校長や山根教育長らの事情聴取に対し自己に不利益な事実は極力否定し、問い詰められた末徐々に告白するに至るなど、可能な限り真相を秘匿する性向があると認められ、Bの検察官に対する供述調書(〈書証番号略〉)に徴しても、同人のAに対する猥褻行為は一〇回は下らないと認めるのが相当である。次にテープの点につき、前記発見者の孝田貴紀は見覚えのあるBの私物のカセットデッキの中にあったことを明言しており、前記認定の録音内容及びBの猥褻行為の態様に照らすと、本件テープはBのAに対する猥褻行為の状況が録音されているものと認めるのが自然である。Bは、そのようなテープは全く無関係のものであることを強調しながら、それが出回ることを極端に警戒していたことが認められるところからも、その弁解はいかにも不自然で信用できない。

3 以上認定のとおり、Bは、学級委員であるAが前記報告等のため自己のもとに来た際に、担任教諭の地位を利用して猥褻行為に及んだものでありそれが授業時間に接着した時間に教室内で敢行されたものであることをも総合すると、Bの右不法行為は、公立学校の教育活動という公権力の行使にあたる同人の職務行為の外形の中にあったというべきである。

したがって、被告町は国家賠償法一条一項により、同県は同法三条一項により(同被告らの地位は前記のとおり当事者間に争いがない。)、それぞれBの右猥褻行為によりAが被った損害を賠償すべき責任がある。

二本件殺害行為の職務執行性について

1  以上認定の事実(争いのない事実を含む。)に、〈書証番号略〉、証人B、同渡辺恒久(第一、二回)、同山根昭三(第一、二回)、同孝田加代子の各証言及び原告川畑政人本人尋問の結果を総合すると次のとおり認められる。

(1) 山根教育長は、平成二年三月二二日昼過ぎ頃、「テレビ局にBの児童に対するいたずらの投書があり、その照会が県教委にあったので事実関係を確認するように。」との県教委の指示を尾道教育事務所より受け、これを渡辺校長に伝えた。同校長は、同日午後四時頃、本件テープを携えて町教委に出向き、同教育長に対しそれまでの経過を説明し、テープを再生して聞かせた。同教育長は、同テープを預かり、その内容から事態は極めて深刻であると考えたが、翌日の卒業式に影響が及ぶことを恐れた渡辺校長の意向もあり、Bからの事情聴取は式後に行うよう指示した。

(2) 同月二三日の卒業式が終了した午前一一時頃、渡辺校長は再度町教委から指示を受け、Bに事実関係を確かめた。これに対してBは、「親しく近づくことが多く、馴れ馴れしいように見られたかもしれないが、キスなどはしていない。」旨答え、性的いたずらの事実を全面的に否定していた。山根教育長は引き続き町教委での事情聴取を指示していたため、渡辺校長は同日午後三時頃Bを伴って同教委事務所に赴いた。同所での事情聴取は主として山根教育長が行ったが、同教育長は、マスコミが事件に関心を持っていること、児童らがいかがわしい内容のテープを所持していることなどをBに告げて事実関係を問いただした。Bは、「顔を近づけて話をしたときに顔がくっついたことがあったかもしれないが、キスなどはしていない。」と言い逃れをしていたが、「Aさんにも聞かなければならない、食い違いはないだろうな、違ったらおおごとで。」と念を押されるや、顔色を変え、暫く沈黙した後、泣き顔になり、「申し訳ありません、やりました。」と言って、朝の会や体育の時間前に四、五回口づけをしたことを認めたが、それ以外の性的いたずらはしていないし、テープなどは知らないと答えていた。Bは右告白の後、「事件が報道されれば懲戒免職ですね。」と言うなど、精神的に相当落ち込んだ様子であったが、次第に落ち着き、「報道されるようなことがなければ、予定どおり四月から広島大学付属三原小学校で研修したい。辞めるときは就職の斡旋をして欲しい。」などと話していた。同日の事情聴取は午後八時頃終わり、山根教育長は、Bに対し顛末書を書いて翌日持参するよう指示し、同人の動揺を懸念して、渡辺校長に、Bに付き添って同人の豊田郡安芸津町の自宅まで送るよう指示した。

(3) 右帰宅後Bは思い詰めた様子であったが、暫く外出して同僚に相談するなどして、翌二四日午前零時頃帰宅し、妻に対し、「大変なことをしてしまった、懲戒免職になる。」と切り出し、具体的な行為については言葉を濁したものの、Aに対する性的いたずらで事情聴取されたことを打ち明けて妻と退職後の身の処し方などを相談した。同二四日午前一一時頃、Bは、顛末書(〈書証番号略〉)を所持し渡辺校長と町教委事務所に赴いた。ところが、右顛末書には「体育の時も教室に来た時も、つい自分を押さえきれず、ブルマーの中に手を入れました。胸にもさわりました(二、三回)。いけないと思いながらもやってしまいました。」と、前日には否定していた事実が記載されていたため、山根教育長らは、さらに事態を深刻に受け止めてBに接したところ、Bは、辞職の意向を示し、辞職願いを書いて提出した。同日の事情聴取は午後一時頃終わったが、山根教育長は、渡辺校長に対し、翌日再度Bを連れて同教委事務所へ出頭するように指示した。同教育長は、同日午後三時頃、右顛末書、辞職願い及び本件テープを県教委に持参して、経過の報告をしたのに対し、県教委担当者は、顛末書の内容が具体性に欠けるとして書き直しを促し、渡辺校長と山根教育長も顛末書を出すこと、辞職願いは同教育長が預っておくこと、を指示し、同テープを受け取った。

(4) Bは、山根教育長から、同月二四日、連絡が取れるように家に居れと言われていたが、同日、転居先等を探すため妻子ら家族四人で大阪に出向いた。しかし、意にかなったものがなく、同日は大阪で泊まり、翌二五日午前一〇時頃帰宅し、同日午前一一時頃町教委事務所に赴き、遅れて渡辺校長も出頭した。Bは、同所で山根教育長の指示により顛末書の書き直しをして提出したが、Bの右顛末書(〈書証番号略〉)では、時期や動機がやや詳しくなってはいたものの、性的いたずらの具体的内容は前の顛末書と格別変わるものではなかった。Bは同日もテープの件は否定したため、渡辺校長がオリジナルテープを所持しているというので、これをBに聞かせることとなり、山根教育長は、同校長に安登小に同テープを取りに行かせ、同校長が前記のとおり校長室の自己の机に保管していたテープを持ち帰ったので、これを再生してみたが、内容は別物で、Bにテープの録音内容を確認させることはできなかった。なお、同月二三日、Bが右教委事務所に赴いた際、山根教育長は、前記のとおり、その手元に保管していた本件テープを再生してその内容をBに聞かせることをしていない。右事情聴取等を終えた同月二五日午後三時頃、Bと渡辺校長は山根教育長からAの保護者のもとに謝罪に行くよう指示され、一緒に原告ら宅に赴いたが原告らが不在であったため町教委事務所に戻った。渡辺校長は同所で自己の顛末書(〈書証番号略〉)を書き、Bは先に帰宅した。その際、同校長は、Bに対し、原告らが在宅することを確認したうえで、改めて一緒に謝罪に行くこと、単独行動はせず家にいて連絡がつくようにしておくこと、等を指示していた。

(5) ところで、Bはバレンタインデーのお返しとして、翌二六日に担任の学級の女子児童一〇余名を広島市郊外の「ガラスの里」へ見学に連れて行く約束をしていたが、同月二五日午後、町教委事務所から帰宅した後、連絡係の女子児童を介して、右ガラスの里へは都合で行けなくなった旨を参加児童に知らせ、そのことはAにも連絡されていた。その後、Bは、同日午後六時半頃、様子を心配して訪ねて来た親戚の者らから早く謝罪したほうがよいと勧められ、渡辺校長の了解を得て出向くことも考えたが、同校長と電話連絡がとれないまま、妻の強い勧めもあって、同日午後九時前頃、妻と原告ら宅を訪ねた。しかし、原告らは不在であったため、二〇分位待ったが果たせず引き上げた。

(6) 翌二六日は日曜日であったが、Bは午前五時頃から自宅で自己の学級児童の中学進学用の学籍簿を作成したりした後、同日午前八時半頃、前記連絡係の女子児童に電話で、「時間ができたのでガラスの里に行かれるようになったから都合のつく者を聴いておいてくれ、後で電話する。」と連絡した。そこで、同女子児童は、Aらにこのことを知らせて確認を取った。しかし、待っていてもBからの電話連絡がなかったため、同人方に電話したところ、既にBは外出した後で、同人の妻から「今日は他に用事があるから行かれないはずですよ。」と告げられて、再びAらにその旨を伝えた。

Bは、同日午前九時頃、「町の教育委員会に行ってくる。」と妻に言いながら、町教委事務所へは行かず、車でA方へ向かった。Bは、検察官に対する供述調書(〈書証番号略〉)において、その間の事情を、「妻に言うと反対して止めてくるかもしれないと思った。少しでも早くAに謝罪し、『自分は死ぬつもりだが、中傷等に負けず強く生きていって欲しい。』と伝え、それから、学級の女子児童らと合流してガラスの里へ行こうと思った。」と述べている。Bは、午前九時半頃A宅に着き、応対した妹に「お姉ちゃんはおるか。」と訪ねてAを呼び出した。AはBを見ると、「先生、ガラスの里は明日になったんよ。」と告げたため、Bは予定が変更になったことを知ったが、「ちょっと学校のことで話しがある。」と行って同児を自己の車(ボンゴ車)の助手席に乗せ、午前一〇時頃、五、六キロメートル離れた人気のない安浦町〈番地略〉先の西小島海岸空地に連れて行き同所で車を止めた。

(7) Bは同所で本件殺害に及んだのであるが、その経緯を捜査官に大要次のように述べ(〈書証番号略〉)、前掲証言もほぼ同旨である。すなわち、「Aは、自己のいたずらが問題になっていることは全く知らない様子だった。そこで後部座席に移って土下座をして『先生はこれまであんたの体に触ったりして悪かったのう。すまんかった、いやじゃったろうのう。』と詫びたところ、同児が『いやじゃった。』と答えたため、それまで自己に好意を持ち、そのような行為を許容していたと思っていたのでその答えを意外に受けとめた。そして、自己の性的いたずら行為が発覚したうえ、その場面の録音と称されるテープが出回ってしまったことで、将来、同児が中傷等されることを気遣い、『頑張っていけるか。』と問い掛けたところ、下を向いて涙ぐみ返事をしなかったことから、自己の行為に対する悔みと同児の将来に対する哀れみの情を募らせ、この際、同児の命を奪ってしまったほうが、これから先続くであろう苦しみから同児を解放してやることになるとの考えにとらわれて、とっさに殺意を生じ殺害に及んだ。」というのである。

以上のとおり認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

2  右認定事実からすると、BがAをその自宅から連れ出した所為は、同児に対する自己の性的いたずら行為について謝罪する意図に発したものと認めざるを得ない。

ところで、①Bは前夜にも原告ら宅に妻と謝罪に赴いており、妻が同行を嫌うとは考えられず、謝罪のためのみであれば、むしろ妻と同行したほうが謝罪の実があがると思えるのに、敢えて妻に嘘を言って一人で出向いていること、②当日は日曜日で、共働きの原告らが在宅していることが予想されるのに、Bは訪問に先立ち、全然原告らの在宅の有無や所在に気を配っていないこと、③謝罪のためのみであれば、わざわざA方から遠く離れた人気のない海岸まで連れて行く必要はないと思われること、④Bは、自己の性的いたずら行為につき、Aが「いやであった。」と答えるとは予想しておらず、初めから謝罪をするつもりのみであったと考えるのは些か不自然であること、⑤本件テープの内容は前記認定のとおりとみるべきであるが、Bはそれを聴いておらず、依然、テープの件については全面的に否定しており、前記告白の経過とも併せると、同人の性的いたずら行為が前記同月二五日段階の告白の程度のものにとどまらず、Bが事の真相を未だ隠蔽する余地があったと考えられること、⑥Bは、検察官調書(〈書証番号略〉)で自殺まで思い詰め、Aにそのことを告白するつもりであった(実際告げたという。)と述べながら、一方では、その後学級の女子児童らと合流してガラスの里へ行く予定であったと述べていることに照らしても、果して真意を語っているかどうか疑わしいこと等が指摘できる。そこでこれらを総合すると、Bは、謝罪の意思もある一方で、Aに対して当局の事情聴取が及んでいるか否かを確かめたうえ、同児に対する何らかの働き掛けをする意図をも有していたと推認するのが相当であり、これを左右するに足りる証拠はない。

3  続いて、右行為の職務執行性につき判断する。

まず、Aは、殺害された当時卒業式を終えたとはいえ同年三月末日までは安登小に在籍中の身分にあったものであり(学年の終わりは三月三一日。学校教育法施行規則四四条、なお、学校教育法二二条。この点は被告らも明らかに争ってはいない。)、Bは、担任教諭として、学校での教育活動及びこれと密接不離の関係にある児童の生活関係の範囲内において、Aに対し指導権限を有し監督義務を負っていたものである。そして、前記のとおりBの同児に対する本件猥褻行為は、その職務執行の外形の中にあるものであり、同児の在学中、同児及びその保護者に対して自己の行為を謝罪し、同児が受けた心身の打撃を回復させるよう努めることは右の如き立場の担任教諭として、職務上当然の義務でもある。それゆえ、同児の自宅を訪問することもまたその職務内容に属するものと解される。このことは、山根教育長と渡辺校長がBに対し原告ら宅を訪問して謝罪するよう指示していたことからも明らかである。したがって、前記認定の経緯のもとで、本件殺害当日Bが原告ら宅を訪問したことは、担任教諭としての職務行為に属するものとみるべきである。

ところで、BはAを連れ出したうえ殺害行為に及んでいるところ、前記説示のとおり、右連れ出し行為は謝罪目的と相容れないとまではいえず、その際、私的な用件を装ったのではなく、「学校のことで用がある。」と言うなどして呼び出していることが認められ、前記認定の経緯に照らすと、右連れ出し行為は、なお、Bが右職務を行うにつきなした行為ということができる。また、前記認定事実からして、AはBがガラスの里の見学の件で訪ねて来たと考えたものと推認される。そして、右見学はその契機等からして正式な課外活動ではないものの、Bはそれを教育的意義のある任意の課外活動と意識してAらを誘ったものと考えられ、Aにとっても、Bの右引率は学校生活の延長上にある行為としての意味を持ったものと認められ、その用件で来訪したと考えて同人の指示に従ったことは自然であり、これらの点もBの連れ出し行為を右のように判断することを裏付ける事情となるというべきである。

次に、殺害行為については、殺害動機等に関するBの前記供述からすると、同人は、Aに対し真剣に詫びることに努めるあまり、自己の行為に対する悔みと共に、同児の将来に対する哀れみの情が募り、発作的に敢行したものとも解される。そして、それは、小学生の女子児童に担任教諭が猥褻行為に及んだという、教育者として断じてあるまじき行為に及んだBが、事が外部に知られ、その重大性を思い知らされた末、Aに対し詫びていた際の混乱した気持ちの昂りからもたらされた結果でもあり、このような事案においては、加害者が被害者に単独で接触することから生じ得る事態であるというべきである。右のとおり、本件殺害行為は、Bの職務たる謝罪行為と截然とは分かち難く、複合的に結び付いた一体のものと評価すべきであり、Bの職務行為の外形の中にあったと認めるのが相当である。

もっとも、前記のとおり、BがAに対し何らかの働き掛けをする意図をも有していたことを考えると、Bの前記供述の信用性には疑問の余地があり、同人には、Aに対する事情聴取の過程で自己が犯した猥褻行為の詳細が判明することを恐れる気持ちもあって、右犯行に及んだ可能性も否定できない。しかし、それが決定的な動機であったと認定するに足りるだけの証拠はないから、本件殺害行為の職務執行性を右のように判断することの妨げとはならない。

以上説示のとおりであって、BがAを連れ出した行為は、Bが職務を行うにつきなした行為であり、本件殺害行為は、結果が極端な形で発現したとはいえ、外形上、Bの職務行為に属するということができる。

4 したがって、前記一と同様に被告町は国家賠償法一条一項により、同県は同法三条一項により、それぞれBの右不法行為によってAの両親である原告らが被った損害を賠償すべき責任がある。

三損害について

1  本件猥褻行為による損害

前記一のBの猥褻行為の回数、態様等を総合すると、これによるAの身体的、精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇万円が相当である。

原告らは各その二分の一を相続したことになる。

2  本件殺害行為による損害

(1) Aの逸失利益

一八〇四万一〇五一円

Aは死亡当時一二歳であり、二〇歳(同児が短大に進学する蓋然性は高かったと認められる。)から六七歳までの逸失利益の死亡時現価は、平成二年賃金センサス(短大卒二〇歳〜二四歳女子労働者)を基礎に、生活費割合を四割とし、ライプニッツ係数により中間利息を控除して次のとおり計算される。(円未満切り捨て、以下同。)

原告らは各その二分の一を相続したことになる。

2,470,700×(18.633−6.463)×

(1−0.4)=18,041,051

(2)① 葬祭費

一〇〇万円(原告ら各五〇万円)

弁論の全趣旨により右額を相当と認める。

② 原告らの慰謝料

三〇〇〇万円(原告ら各一五〇〇万円)

〈書証番号略〉及び原告川畑政人本人尋問の結果によれば、Aは原告らの長女で、家事の手伝いや妹の面倒をみるなどし、原告らはその将来に期待していたところ、中学入学を前に、個人の尊厳を重んじ、人格の完成を目指して心身共に健康な育成を職務とする担任教諭から殺害され、多大な精神的苦痛を受けたことが認められ、これを慰謝するには右額が相当である。

3  以上の損害合計は五一〇四万一〇五一円となるところ、Aが原告らに支払った三〇〇〇万円(原告ら各一五〇〇万円)は右損害金の内入れとみるべきであるから、これを控除すると残額は二一〇四万一〇五一円(原告ら各一〇五二万〇五二五円)となる。

4  弁護士費用

二〇〇万円(原告ら各一〇〇万円)

本件訴訟の内容、認容額等を総合し、被告らに負担させるべき額は遅延損害金起算日時点におけるものとして右が相当である。

四よって、被告らは各自、原告それぞれに対し一一五二万円〇五二五円及びこれに対する本件各不法行為後の平成二年三月二七日から各完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があることになり、原告らの請求は右の限度で理由があり、その余は失当である。

(裁判長裁判官中村行雄 裁判官松本昭彦 裁判官廣田聰)

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